息子からの「愛してるよ」|高橋美穂の「HAPPY LIFE」
この5月で私の一人息子は、ハタチ。
ブログではほとんど触れない息子の話題。
いろんな理由で、あえて書かない。
書き出したら、たぶん、止まらない。 毎日毎日、息子のことで、このブログは溢れる。
息子が20歳・ハタチ・・・ということで
ちょっと特別に飛び飛びで何回かに分けてあの頃のこと、いろんなこと綴ってみようと思います。
「たぶん、私、お腹の中に赤ちゃんがいます」
掛かり付けのドクターに嬉々として話した。
「嘘でしょう・・・本当のことですかっ!!」 女医さんの声は咎め立てするような口調だった。
子供がお腹に宿る頃、私の体重は30キロ程度しかなかった。
そんな体重では、体力を維持できない。血圧だって上がらない。
掛かり付けのその病院では、血圧を正常に保つための薬と、免疫をつける薬をもらっていた。
ずっと服用していたから、別に何も気にしていなかった。
「妊娠したのは本当なの?」 もう一度ドクターに尋ねられた。
「産婦人科に行っていないから100%とはいえないけれど、お腹の中に赤ちゃんがいます」
ドクターは大きな大きな溜め息をついた。
「あなたって人は愚かなのかしら・・・薬を服用していたら普通は妊娠は避けるでしょ!!!」
生まれて来るのは恐らく奇形児だと
『薬を常時、服用している』という恐ろしさを、幼いほど知らなかった。
産婦人科に行ってもそれは同じことだった。
「薬の服用中の妊娠ねぇ・・・まあ、ちょっと考えて来週にでも結論を聞かせてください」
産婦人科のドクターはそう言った。
意味がわからなかった。
待合室に居てくれた夫に、その言葉を伝えた。
夫は待合室から診察室に走って行った。
「高橋美穂の夫です、産みます、産みます。 来週まで待ってくれなくてもいいです、産みますから!!」
私たちは二人で誓った。
どんな状況でも、この子の存在を命を掛けて愛そう。
お腹の中でも、生まれて来てくれてからも
ずっとずっとずっと、精一杯に愛そう。
切迫早産でやがて入院した。 お腹の子は男の子。
24時間、止むことのない点滴は、お腹の子供が早産で生まれてしまわないように。
私は食事も、排泄も、すべてベッドの上。
そのうちに点滴針を打つ場所もなくなり、足から肩からとあらゆるところが点滴の針で腫れ上がった。
予定よりも1ヵ月も早く破水した。
羊水はすべて流れ出し、それなのに陣痛は来ない。
減量の授乳
お腹の赤ちゃんは酸素がなくなるだろう、私は凄く凄く苦しいのに陣痛は来ない。
立会い出産を希望していた夫にドクターは告げたのを、私はただ黙って聞いているしかなかった。
「母子共に危険な状態となりました。切開の準備をします。万が一の時には・・・」
「・・・妻の命のほうを」
帝王切開の手術の準備が整って運ばれる寸前で、陣痛が来た。
願っていた立会い出産が出来る。
分娩室に入って夫が励ましてくれていたのをボンヤリと憶えている。
泣き声が聞こえて
助産師さんが言った 「元気な子ですよ、どこにも異常はありません」
そこから先の記憶は無い。
気を取り戻したのは、それから8時間後だった。
未熟児で生まれて来た息子。
夫が書いた息子の名前は足にラベルのように付けられて
「名前は退院してからでもいいのですけど」と、ちょっと皮肉っぽく助産師さんは笑っていた。
確かに未熟児だったけれど、ヤンチャな子供だった。
私たちは、息子がお腹の中に居たときの誓いを忘れてはいなかった。
精一杯を掛けて愛して育てた。
けれども、我が家は少し変わっていたかもしれない。
宿題をしなさいと追い立てることもなく、学校に遅れるから起きなさいとも
一度も叱ったこともなければ、怒鳴ったこともなかった。
間違っているといわれれば、それまでだが私はポリシーを持って育てた。
この子をどんなに愛していても、この子と私は別々の人格。
我が子であっても、我が物ではない。 私の所有物ではない。
この子には、この子の人格があり
私は神様から、その命を預かっているにしか過ぎない。
宿題をするかしないかは彼の決断だ。
朝に起きて学校に間に合うように支度するのも彼が決めて行動することだ。
『産んだ者』 としての責任は果たす。
人生を生きる上での先輩役になる。 必要ならばアドバイスもする。
誓ったとおり命掛けて愛する、出来る限りの精一杯の力になる。
けれど
だからといって、宿題をしなさいとは言わない。
やりたくなければ、しなければいい。
誰のための学校でもない、彼のための学校だ。 間に合うように自分で起きるべきだ。
息子にも、その旨をキチンと説明した。
じつに奔放な子供に育った。
決して悪い意味での奔放でなかったことを感謝している。
小学二年生のときには担任の先生から呼び出された。
妊娠中期の膣の痛み
「息子さんですけどね、中間休みと昼休みは図書室に篭っているんです」
私はそれのどこが悪いのかと思った。
「つまり、他の子供さんは遊んでいるわけですから、ここは皆と一緒の行動をしたほうがいいですね」
・・・家に戻って息子に尋ねてみた。
「休み時間にお友だちと遊ばないの?」
息子の答えは明確だった。
「遊ぶのなら学校が終わってからでいいじゃん。 図書室が開いているのは学校の時間だけだよ」
学校の図書室の本を全て読破したい、という理由だけだった。
担任の先生は、協調性に欠けて育って行ったらどうするのかと言っていた。
私は 「もしも、そうなったとしても本人の責任に於いてのことですから」と応えた。
放課後から夜の日暮れまで、友だちと遊ぶ姿。
協調性に欠けた大人になるとは思えなかった。
小学三年生のときには、こんなことを言い出した。
「一人で旅をしてみたいよ、飛行機に乗って行くから」
私は大笑いをした。
「つまりは飛行機代を出して欲しいっていうことね」
息子は怖いもの知らずだ。
空港まで送っていった春休み。
宿などは私の弟に援護射撃の手助けをしてもらった。
親が決めた場所に寝泊りするのは、息子のプライドにかかわるだろうから。
沢山のお土産を持って三泊4日を楽しんで帰って来てくれた。
・・・その後、何かと飛行機で『一人旅』したのは言うまでもなく。
余計な口出しは一切、しなかった。
これも間違った教育方針だと人様から言われれば、そうなのかもしれないが
「相談したいことがある」 と息子が言い出すまでは口出しはしなかった。
奔放な子だった。
成績も奔放だった(笑)
本当に、夫と私の子供か?? と思うような出来の悪さだった
(・・・って、あんたと、あんたの夫はどれだけ出来がいいのかと突っ込まないでくださいマセ 笑)
それについて責める気はなかったし
誰のための勉強でもない。好きにすればいい。
「君のその成績からすると、どうやら父さんの子でも母さんの子でもないかもしれないわよ」
そう言って笑った。 息子もへらへら笑っていた。
だけど
息子に対しては、本当に申し訳ないことばかりの親だったのが事実だ。
幾度も引越しを重ねて
息子には 「故郷」 というものは存在しなかった。
挙句の果てには、事情があってまだ高校二年生だった息子を残して
夫と私は引越しをした。
肥満青少年のためのキャンプやプログラム
言えない事情なので書かないけれども、涙が枯れ果てるとはこんな状況だろう。
それでも息子は逆に私を心配した。
「僕は大丈夫だから、ほら!! 母さんも!!」
離れ離れになった息子と私たち。
一人暮らしを始めた息子の成績が急に上がった。 自分で生きて行くことの自覚が芽生えた。
「今まで一緒に暮らしていたときは隠していたのさ」
進路については聞かないでくれ、と言われたから尋ねなかった。
普通の親ならば、進学か就職か。
進学なら何処にするのか、何学部がいいのかと思い悩むところだろう。
だけど、聞かないでくれと再三、言われた以上は
口を出すこともなく、何をしてあげることもなく。 言うなれば 「そっと、祈る」
三年生も終わるころに 「△△大学の法学部に合格したから」
なんの前触れもなく、唐突に電話が来た。
「おお!! 法学部なんか受けたのか」と夫は言った (←普通の家庭では有り得ない会話??)
「法学部って、凄いね」・・・私は喜んだのだけど
「あまり喜ばないでくれよ、本当はもっと上を目指していたんだ」
上って何処だろう。 医学関係かと尋ねたら
「まあ、そういうとこだけど聞かないでよ、無理だったんだから」
大学には自力で進むと言う。
「もう義務教育でもないんだ、僕の進む道だ」
でもせめて、お祝いしよう、卒業式が終わったらと約束した。
お祝いの宴は出来なかった。 大震災の震源地に息子は住んでいた。
親子の絆さえも揺るがす出来事だった。
命は助かった息子。
でも、被災した息子と、被災しなかった親。
「僕にはもう構わないでよ」
何かが大きく変わってしまった。
無力な親だ。 命掛けて愛して育てると誓ったのに
苦労ばかり掛けてしまっている哀しい親だ。
負い目を感じながら、震災から一年が経った。
自活のみで大学に通う息子。
最近、やけに頻繁に私の携帯に掛かってくる息子からの電話。
思い切って言ってみた。
「ハタチだね。 君には本当に申し訳ないと思っているのよ。
いろんなツライ思いをさせてしまったね。
だけどね、だけど・・・君を愛していることは真実だから。 愛しているから!!!」
息子は笑った口調だった。
「ずっと、わかっていたよ、ありがとう。 僕も母さんを愛してるよ」
サラッとした口調で、そう息子は言った。
その電話の話を夫にしたら
「ヤツも随分、気を遣っているな」と笑った。
付け加えて 「ストレートな愛の表現をするところは、さすがに美穂が育てた子だな」とも笑った。
「でもね、お友だちの前では、母親なんてどうでもいいようなこと言ってたのも聞いてしまったわ」
私が夫に訴えると
「当たり前だろ。 ハタチの男が友だちの前で、母さんのことを愛してますって言えるかよ!!」
「あら、私は世界中に宣言して欲しいくらいよ」
夫はネクタイを外しながら
「万が一、ヤツの友だちがそれを聞いたら、ドン引きされるどころか、この先誰も友だち出来なくなるぜ」
・・・昨日、電話が来たので
私は勇気を振り絞って、もう一度、言った。
「愛してるのは本当よ」
「おかしいな、僕もこの前、言ったとおりなんだけど・・・愛してるよ、母さん」
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息子がお腹に宿ったころの写真たち
↑知人宅にて。 ちゃらちゃらと服は派手なのに対照的な頼りない姿に心配されてしまった。
↑化粧をしていないのに写されたので不愉快ながらも、とりあえずの笑顔。
↑こちらもスッピンな寝起きの顔。 本だらけの部屋、学生だった。
↑お腹のわずかな膨らみがわかるでしょうか。 このあと切迫早産を防ぐために入院。涙顔。
息子が生まれてからの育児の光景は
またの機会のブログで。
いつになるかな。
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